「祖母のリウマチを治したい」と思った少年時代、そして治療師としての出発

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「祖母のリウマチを治したい」と思った少年時代、そして治療師としての出発

2017/06/04

「祖母のリウマチを治したい」と思った少年時代、そして治療師としての出発

         拙著「9レッスン」を改稿  (わくわく創造研究部 発足記念事業)

 

 

父方の祖母は、第二次大戦後、銭湯を営みながら八人の子を育てたのち、リウマチを発症し、寝たきり生活を二十七年間も続けました。

幼いころのわたしには、祖母の入浴の世話がものすごく大変だった記憶があります。

布団の四隅を母と叔母とわたしが持ち、祖母を風呂場まで運ぶのです。

 

神戸にリウマチの名医がいると聞き、寝かせた祖母を布団ごと車に乗せ、5時間ほどかけて神戸まで受診に出かけたこともありました。

しかし、祖母の症状はよくなりませんでした。

 

母方の祖母も、リウマチを患っていました。

その祖母は、布団店を営みながら、短期間に三人の子を出産したのち、リウマチを発症して、やがて歩行障害となりました。

 

 

わたしと同様、わたしの父も、鍼灸師の資格を持つ治療師です。

父が治療の道を志したのは、やはりリウマチの母(つまり、わたしの祖母)のからだを少しでも楽にしてやりたかったからだと思います。

しかし、当時の父は、リウマチをどうすることもできませんでした。

 

 

わたしの探究心は、「祖母のリウマチを治したい」という幼少期の思いにさかのぼります。

わたしは、どういうわけか、医師の手に負えないリウマチ患者さんを何とか助ける方法があるにちがいない、と直観していました。

ただ、どうすればよいかを知るには、そのあと三十年近い模索を、続けなければなりませんでした。

 

 

わたしは、リウマチ患者さんの手助けができる治療者になりたいと思い、治療師としての第一歩を踏み出します。

そして、専門病院に勤務しました。

 

リウマチの専門医だった院長は、わたしにこう言ったものです。

「リウマチの患者さんは気の毒だ」

 

リウマチになったが最後、という意味に近いのです。

残念ながら、その院長は、快復しない患者さんばかりを診ていたので、言いようのない無力感を味わっていたのだと思います。

 

 

医師が治ると思っていないのに、どうやって患者さんは希望を持てばよいのでしょう。

わたしは院長から、「せめて楽にしてあげてほしい」といわれ、痛みがやわらぐよう施術をしながら、リウマチ患者さんに「何か価値あるもの」を与えるにはどうすればよいか、と自問し続けました。

 

 

そんなある日、最初の答えがやってきました。ある看護師さんが、わたしにいったのです。

「Nさんは、むかしリウマチだったのよ」と。

「えっ?」わたしは、わが耳を疑いました。

「むかしリウマチだった」って!? ということは「治った」ということなのか? 

 

驚いたわたしは、とても元リウマチ患者さんには見えない元気なNさんが病院から帰宅していく後ろ姿を、小走りになって追いかけ、声をかけて、いろいろと尋ねました。

わたしの探究の転機になった、その時のことは一生涯忘れられない想い出になっています。

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中村 司

(財)日本東洋医学財団 理事長
中村式温熱療法 提唱者

祖母が27年間リウマチで寝たきり状態だったため、 幼い頃より難病の消滅を悲願とし、治療師の道に進む。
その克服法を完成に近づける途上、自分自身に激しい リウマチ症状が現れたが、約3週間で克服した経験をもつ。

治った患者さんの共通点を分析した「東洋三理療法」、 遠赤外線でいつでも体を温められる 「中村式温熱」、患者さんと共同開発した 「KIK療法」など、独自の視点から創案した治療法も多い。

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